楠木ともりさん、メジャーデビュー後初の有観客ライブ「Reunion of Sparks」のZepp Namba公演に参加してきました。過去2年間の集大成として、そして有観客という、アーティスト活動のベース部分の、最後のピースを埋めるための価値のあるライブでした。ライブの感想がてら、彼女のアーティスト活動について今感じていることなどを残しておきます。来年の新譜、新ライブでまた新しいことがわかれば良いなあと思いつつ。
―楠木ともりの「セットリスト」
私はメジャーデビュー後のファンですが、楠木さんのEPやライブは曲順に強い意志があり、特に最後の2曲の選曲に、作品を決定づける大きな特徴があると感じています。
例えば「バニラ」
バニラは有限の現し世に不滅の心を願う歌ですが、どこか寂しさや後悔を感じる、ドラマチックなバラードです。そしてバニラが登場する作品では、全て最後の2曲にこれを置いています。
- 2nd EPではアカトキ→バニラ
- MELTWISTではバニラ→アカトキ
- LOOM-ROOMでは僕の見る世界、君の見る世界→バニラ
- Reunion of Sparks(本編)ではバニラ→narrow
このようにバニラはクライマックスで多用していて、しかも順序を細かく変えている。バニラの眩さと厳かさは、最後に持ってくると静かに幕を下ろす印象が強い。だから2nd EPやLOOM-ROOMはバニラ締めでよいけど、MELTWISTはキャンドルライブだから、アカトキの光量で閉じる必然性がある。
そしてReunion of Sparksは最後がnarrow。narrowは冒頭でなければ最後で歌うものと予想していましたが、narrowはアカトキや僕の見る世界~ほど明るくない。どちらかというとバニラに近い。22歳のバースデーライブをこの2曲で締めるのは、ちょっと重厚すぎない?と思っていたのですが―
これはバニラとnarrow共々、表現を大胆に変えることで、明るく優しく美しい終章を作ってしまいました。うわー。特にnarrowは本当に変わった。同じ曲を使っても、セットリスト、表現に無限の可能性があります。ライブは楽しいですね。
―「せまくない」narrow
narrowがビルの谷間から狭い夜空を見上げる感覚を背景にしていることは、複数のインタビューで楠木さん自身が語られていることです。
narrowのMVはとても狭い。シネスコ比よりも更に横長で、上下がギュッと詰まった構図は、視界の狭さを表しているようでもあります。
楠木さんのMVは基本的に横長でしょと言われそうですが、実は曲によって細かく使い分けています。タルヒに至っては、1曲の中で縦横を切り替えています。構図にこだわる人でなければ、こんなことはしません。
(narrowの比率の呼び方がわからない)
ここでReunion of Sparksのステージをご覧になった方はおわかりになると思いますが、narrowの演出は、正方形の4枚のスクリーンに、抽象的な夜景を次々に投影するというものでした。
ある種の緊張を伴う長方形と比べると、正方形の構図には、調和・安定・中立・正対などの特徴があります。インスタなんかが正方形写真を採用しているのは、アルバムの見た目がスッキリすることに加えて、プラットフォーム側で撮影意図を強制してしまうことを避けるためなんじゃないかと思います。
スクリーン自体は常時出してありましたが、MVどおりのnarrowなら、スクリーンは消灯しても、黒帯を入れてもいいわけです。narrowの演出に「せまくない」正方形を使う。これは曲の解釈に手を入れたなと。ちょっと驚きました。
しかし振り返ってみると、Reunion of Sparksは最初からCDや従来の配信ライブとは異なる表現を追っており、narrowを作り替えることも当然の流れでした。演出だけでなく、歌い方もEPとは相当に違います。次に「せまくない」narrowを聞けるのはいつでしょうか。また聞きたいですね。
―輝きはステージで再会する
表に出て喋るときの楠木さんは、拘りが強い一方で、基本的に陽気で積極的、表現が大きい性格です。(たぶん)
しかしアーティスト路線はというと、基本的に静かか、暗い。Major調や優しい曲でも、どこか影があるものが多い。オリジナルの既存12曲の中で、正面からポジティブなのはアカトキくらい?アカトキは鳴海夏音さんとの共作詞なので、少し例外的ではあります。
このご本人の性格と作家性の、少なくとも表層的なギャップは、メジャーデビュー当初、私はうまく咀嚼できませんでした。聞けば曲作りについて習ったことはないそうで、一種の天才肌で、立ち位置も容易に変えられるタイプなのかなと。しかしその認識は、ある機会に改められることになります。
だいたい伝わると思うので詳細は伏せますが、楠木ともりさんはとある無観客のライブ、それも土壇場で無観客への転換を余儀なくされたライブで、密かに調子を崩していました。もう調整したパッケージになった映像しか残っていませんが、当時私の目からみて、静かにダメージを受けているのには驚いたので、よく覚えています。
つまり役者としても歌手としても、あるいはトークにおいても、対面でI'm hereを伝えたいという意志は一貫しており、その表現方法が媒体によって違うだけだったと。慌てて歌詞を読み直してみると、強烈に一人称の存在を感じるものばかり。もっとちゃんと聞き込まなければ…
さてそうなると、俄然、「楠木ともり」本人名義でのライブを見たくなります。あの人物性と作家性が同根なら、きっととても興味深いunionが見られるに違いない。
MELTWISTもLOOM-ROOMも、配信「ライブ」と銘打ってはいても、基本はスタジオの音楽です。これはこれでとても良いのだけれど、ライブはライブで聞きたい。
かくして、メジャーデビュー発表から2年を経て、「楠木ともり」とその作品、有観客で光る才は、Reunion of Sparksのステージ上で邂逅することになります。デビュー発表のその日、インディーズ時代最後の日から数えるなら、再会でしょうか。
Reunion of Sparksは開幕から、有観客で歌える喜びに身を委ねており、というか、そうなることを見越してステージが組み立てられていました。声も曲も聞き慣れたもののはずなのに、歌唱や体での表現は大きくオープン側に振り、あれらの曲が次々に作り替えられていく様は心地よい驚きでした。これだ…求めていたものは…
私は心の中で何度もガッツポーズし、I'm hereにYou're thereで大きく手を振って応えたと思う。後ろの席だったし背も低いので多分ステージからは見えてないけど、narrowとバニラが好きな曲トップ2な私としては、実際に伝わったこと以上にその場にいたことが大事。この曲の歌詞読んでる人ならわかってくれると思う。
(narrowのグッズも作りませんか?)
Reunion of Sparksは大満足のステージでした。
表現者としての希望や葛藤をダイレクトに見られるのは本当に興味深い。だから私は可能な限りライブや舞台には立ち会いたいと思うし、関心を持ったアーティストさんは、作品のみならず人となりや行く末まで見届けたいと思う。
まあそんな先々の話でなくても、既に再会のチャンスが提示されているのは喜ばしいことです。2022年夏、次のステージでお会いしましょう。頼みますよイー○ラスさん…かどうかわからないけど。
改めて、素敵なライブをありがとうございました。2021年は色々困ったことも多い年でしたが、ちゃんと良い年でした。良いことありましたよ。